11/26(日)、9名の参加で実施しました。今回はボーリング場の事情で開催時間が午後からになり、終了後の表彰式を簡略化し食事なしで、賞品を工夫しました。
今回初参加の堀井さんは栗東ボーリングジムの会員で、2ゲーム目にはなんと234点を出されました。
素晴らしい投球でした。皆さん、良い運動になったと思います。
11/26(日)、9名の参加で実施しました。今回はボーリング場の事情で開催時間が午後からになり、終了後の表彰式を簡略化し食事なしで、賞品を工夫しました。
今回初参加の堀井さんは栗東ボーリングジムの会員で、2ゲーム目にはなんと234点を出されました。
素晴らしい投球でした。皆さん、良い運動になったと思います。
2023年4月2日(日)開催のスプリングフェスティバルに滋賀支部の皆さんと参加しました。
天気も良く、桜も満開の千里山キャンパスで、新型コロナウイルス関連の制約がほぼ無くなった今年は樽酒の振る舞いや各支部のテントブースも復活し、昨年とは違う賑やかな1日となりました。
厳かな応援団の演武演奏や現役関大生による各種パフォーマン、博物館で公開展示、高松塚古墳再現壁画展示等々、いろいろと楽しめました。
卒業後は永らく訪問する機会が有りませんでしたが、校友会の繋がりが深くなったここ10年で年数回は千里山を訪れていますが、その度に新しい発見があり、母校関大の発展を感じます。
今後の予定では、10月22日(日)には校友会総会が開催されます。一度千里山を訪れてみてはいかがでしょうか。
令和5年度支部事業のご紹介
1.近江富士花緑公園でバーベキュー
日時:10月1日(日) 10時JR野洲駅集合
概要:初秋の緑地公園内のバーベキューコーナーで近江牛、
魚介類、野菜などを賞味し、懇親を深めよう!
木工や陶工にも挑戦できますよ!
2.滋賀支部ボーリング大会
日時:11月26日(日)10時 栗東ボウル
概要:恒例のボーリングで技を競いながら、親睦・交流を楽しむ
3.地域交流会
日時:各地域地域
概要:市町単位、趣味、同期等のグループで親睦・交流を楽しむ
上記事業に参加希望の方は、支部メールでお知らせください。
滋賀支部(今井 清支部長)の令和5年度定例総会が1月22日(日)JR草津駅西口前ホテルボストンプラザ草津で開催されました。
関西大学校友会本部、京都支部の来賓皆様はじめ、滋賀県各地から27名の校友諸兄が参集し盛会に催されました。
記念写真撮影後、賀詞交歓会・懇親会があり各テーブルあちこちにて歓談の輪が広がりました。
その後の大抽選会は、大いに盛り上がり、笑いと拍手の渦となり学生時代に思いを寄せ、来春の再会を誓い合い中締めとなりました。
10月16日に予定していました「近江冨士花緑公園でバーベキュー」につきまして、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、開催を中止します。ご参加を予定していただいていた方には、大変申し訳ありませんが、ご理解いただきますようお願いいたします。
德原修一 1973年(S48)法学部政治学科卒
滋賀支部のお誘いもあり3年ぶりにスプリングフェスタに参加 しました。新型コロナの終息も見通せない中の開催で、雨模様の中例年のようなイベントや模擬店もなく静かな催しでした。
しかし、桜が満開で50年前と同じ「関大の春」でした。 新しい 学舎で様変わりしたキャンパスをぐるっと歩き回り、昔自分が学んだ学舎を探してみました。残っている学舎を見て懐かしく思いまし た。
私が入学の1969年は全国的な学園紛争の真っ只中で、入学当初こそ静かでしたが、すぐに関大も紛争が起こり、全学ストライキや 学舎封鎖が起き、長い間授業も中止されました。
貧乏学生の自分は、学費捻出のため、長期休暇や大学がストライ キで休みになるたびに日雇いアルバイトに忙しくしていました。昼食も弁当持参か、学食の100円定食かカレーライス、うどんでした。校門近くの西村食堂にも行きました。
在学4年間で、一度も大学祭は開催されず、今の学生諸君のようなキャンパスライフを楽しむ機会もありませんでした。
当時法学部1学年の数は1000人以上で、大半の講義は数百人の大教室で行われ、少人数の講義は英語、ドイツ語クラスくらいしか ありませんでした。そのため一緒のクラスの名簿で「た」行の数人くらいとしか親しくする機会がありませんでした。しかし、その数 人とは今もささやかながら交友関係を持つことができています。校友会の役職をされているT.Y君や旧姓T.Hさんもいます。
もう一つの思い出は、卒業6年後、仕事をしながら、天六の二部社会学部に学士入学したことです。自分より10歳近く若い人たち と一緒に学べたことが楽しかったです。一部の千里山学舎と違い、 少人数の講義がほとんどでした。家族社会学の前田ゼミにも参加し、 法学部生には行けなかったゼミ旅行にも何度か参加しました。 大学祭も二部では経験できました。本職の仕事が忙しくなり、職場との当初2年間通学の約束もあり、残念ながら二部は単位不足のため3年間で自主退学になりました。
私にとっての関大は、特に強い母校愛というのはありませんが、今の自分を築いてくれた人生の学び舎といえると思います。